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メキシコ環境主義緑の党(メキシコかんきょうしゅぎみどりのとう、、略称:PVEM)は、メキシコの政党。日本語では、単に「緑の党」あるいは「緑の環境党」と訳される場合が多い。議会における議員の数で、メキシコ第4の政党とされている。議席の一部は、他党との選挙協力が功を奏して獲得したものである。2000年の連邦選挙では、国民行動党(PAN)と「Alianza por el Cambio (改革連合)」を組んで選挙に勝利し、PANの大統領候補ビセンテ・フォックス・ケサーダの当選を確実なものとした。2003年の選挙以降は、おもに制度的革命党(PRI)との協力に転じている。 == 歴史 == 1986年に「Partido Verde Mexicano (メキシコ緑の党)」(PVM)という名称で結成され、初代の党首はホルヘ・ゴンサレス・トレスであった。PVMは、1988年の連邦選挙に民主国民戦線の一員として参加し、1991年には「Partido Ecologista de México (メキシコ環境党)」(PEM)の名で、初めて単独で選挙に参加した。しかし、政党としての登録に必要な得票率を達成することができなかったため、支持者たちは再度、条件付き登録の要件を満たすよう運動をしなければならなかった。この再登録は1993年に実現し、党名は現行のメキシコ環境主義緑の党となった。 1991年2月9日に政党資格を獲得して以来、この党は、ひとつの家族によって率いられてきた。初代党首ホルヘ・ゴンサレス・トレス(官僚出身で元PRI党員)は、党首の座を息子ホルヘ・エミリオ・ゴンサレス・マルティネス(上院議員で「緑の子」と称されていた)に継承させた。 1994年と1997年の連邦選挙ではPVEMは大きく得票を伸ばし、メキシコ第4の政党となった。この党勢を踏まえて、2000年の選挙では国民行動党(PAN)と「改革連合」を組んで選挙に参加した。この連合は大統領選挙における勝利をもたらしたが、その後PVEMはフォックス政権が環境問題の取り組みを実現していないとして、2001年に連合から離脱した。 2003年の連邦選挙で、PVEMは、全300選挙区のうち100選挙区で制度的革命党(PRI)と「Alianza para Todos (万人のための連合)」を組み、比例代表の14議席を合わせ、下院で17議席を獲得した。PVEMは、上院では選挙区1議席・比例代表4議席の5議席を占めた。これ以降は多くの州レベルの選挙でPRIと連合を組んでいる。 2006年の大統領選挙において、国会議員のベルナルド・デ・ラ・ハルサを候補に立て、テレビでも強力な広報キャンペーンを展開して環境重視と腐敗との闘いを訴え、民衆から一定の支持を得た。最終的には、2005年11月末にPVEMは独自候補の撤退と、PRIのロベルト・マドラソ・ピンタド候補への支持を決定した。 2009年の中間選挙では、PVEMは、暗殺と誘拐の犯人に対する死刑の復活(メキシコは死刑を廃止している)、学校の時間延長による共働き世帯の子育て負担軽減、医療の無償化などを重点政策とした。PVEMの広報アナウンスメントには、テレビで活躍する俳優らが、党のスポークスマンとして出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「緑の党 (メキシコ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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